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東京高等裁判所 昭和49年(う)2981号 判決 1975年3月10日

被告人 植原力造

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六拾日を原判決の本刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人遠藤雄司作成名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(理由不備)について。

しかし原判決の第一ないし第五の各認定事実を、その挙示した関係証拠および適用法条と合わせ検討しても、所論のような非違は存在しない。すなわち原判決が、その第一ないし第五において判示するところは、被告人は○枝○恵に対し、自己の性交の相手方として児童であるA等を誘い連れてくるよう申し向け、○枝が、被告人の右意向を知りながら、右A等に被告人に性交するよう勧誘し、被告人に紹介した結果、被告人が右A等と性交するに至つたという趣旨であつて、○枝がA等に被告人と性交するよう命じたり、性交する旨の同意を得た旨を認定判示していないことは所論のとおりであるが、児童福祉法第三四条第一項第六号にいう「児童に淫行をさせる行為」のうちには、児童に対し事実上の影響力を及ぼし児童が淫行をなすことを助長し促進する行為をも包含するものと解するのを相当とする(最高裁・昭和三九年(あ)第二、八一六号、昭和四〇年四月三〇日第二小法廷決定参照)から、右A等が結局は被告人の要求により被告人と性交するに至つたものであるにしても、○枝がA等に、被告人と性交させる目的で、その旨勧誘し、A等を被告人に紹介した行為は、A等が淫行をなすことを助長し促進した行為として、前記「児童に淫行をさせる行為」に該当するものというべきである。なお所論のとおり、右児童福祉法第三四条第一項第六号にいう「児童に淫行をさせる行為」には、自己が直接児童と淫行をした場合は包含されないと解するのを相当とするが、本件のように、他人を教唆し児童をして自己を相手方として淫行をさせる場合は、児童をして第三者と淫行をさせる場合と区別すべき合理的理由がなく、また被教唆者に対してのみ児童に淫行をさせた責任を問うべきものではなくして、教唆者も同法条違反の罪の教唆犯としての責任を免れることができないものと解すべきである。結局論旨は理由がない。

控訴趣意第二点(事実誤認、法令適用の誤)について。

記録を調査すると、原判決の挙示する関係証拠によれば、原判示第一ないし第五の事実を肯認するに十分であり、被告人の当審公判供述によつても右認定を左右するものはない。すなわち右証拠によれば、Aほか四名の児童は○枝○恵に勧誘された結果、被告人に会い、被告人にモーテルに連行された後被告人の要求により、確定的に被告人と性交する意思を抱いたものと認められるが、原判決はこれと異なる認定をしているものとは認められないから、これを以て事実誤認ということはできず、また右事実が認定されるとしても、原判決が、○枝○恵が児童であるA等に淫行をさせ、被告人がその犯行を教唆したものとし、被告人に対し教唆犯としてその責任を問うたことについては、法令適用の誤があるものとはいえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(量刑不当)について。

記録によつて認められる本件犯行の罪質、動機、態様、とくに被告人が妻子を有する身でありながら、児童である○枝○恵を教唆して一年有余の間数回にわたり、思慮浅薄な女子中学生である児童五名を誘惑させ、これら児童と淫行を重ね、更にそのうち二名に対し甘言を用い売春行為までさせていることに徴すれば、その犯情は軽視を許されないものがあり、当審における事実取調の結果を合わせ、被告人には前科前歴がないこと、原審、当審を通じ、被告人の妻において被害者のうち三名の保護者等に対し計二五万円を支払い、それぞれ示談が成立し、同人等の宥恕を得ていることなど、被告人に有利な諸事情を十分に参酌しても、原審の量刑はやむを得ないものと認められる。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却し、刑法第二一条により当審における未決勾留日数中六〇日を原判決の本刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石田一郎 裁判官 藤原高志 小林昇一)

参考 控訴趣意(弁護士遠藤雄司)

第一点、原判決は理由が不備である(刑事訴訟法第三七八条四号)。

原判決は、罪となるべき事実の項において、被告人は(第一から第五まで同じ)……自己が同児と性交し、もつて児童に淫行をさせる行為を教唆し、と認定し、それに対する法令の適用として刑法第一条六一条第一項、児童福祉法第三四条第一項第六号をあげている。

原判決は、被告人が教唆した被教唆者は○枝○恵を指していると思われるが、正犯者である○枝の行為が原判決の認定事実では、児童福祉法第三四条第一項第六号の児童に淫行させる行為に当るとは思われないのである。たしかに「自己を相手方として性交する女子中学生を誘い連れてくるよう申向けよつて、同児をして同年一二月六日ごろ、同級生のA(当時一四年)をその旨勧誘させて自己に紹介せしめ」(第一の場合)とあるが、法令の「児童に淫行をさせる行為」とは違うと思料する。少くとも右の場合Aを同意させることが必要であり、若し原判決のままで充分とするならば、法文の意味が児童を「淫行を欲する男性に招介する行為」をも含むと解さなければならなくなつてしまい、罪刑法定主義の立前から、極めて不当と言わなければならない。従つて本件の様な場合には、監督的地位を利用して命令するか対等の地位であれば児童の同意(もちろん満一四歳以上)を得た場合に、その後の男性への招介があつて淫行させる行為に該当するものと思料する。

そして、児童福祉法第三四条第一項第六号が、自己が直接性交した者を含まない趣旨と解されるから、被告人の行為が○枝○恵の行為を補完して完成するということも言えないと思料する。要するに、原判決は「その旨勧誘させ」と極めてあいまいな言葉を使用したために理由不備となつたものである。このことは、第一から第五までの所為は児童福祉法第三四条第一項第六号に当らず、従つて無罪であると思料いたします。

第二点、原判決は明らかに判決に影響を及ぼす事実の誤認乃至は法令適用の誤りがあつてその誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかである。

罪となるべき事実の第二、第五に於て、各被害者は被告人と性交する決意を被告人と一緒に行動を始めてから起しているのであり(第二の場合、昭和四九年五月三一日付Bの供述調書第五項(一)(二)(三)第五の場合昭和四九年六月二三日付Eの供述調書第八項)各証拠によると被告人自身が説得して、被害者らと性交しているのであるから、原判決が○枝及びAが淫行させたとまでは認定できないはずであり、その上刑法第六一条第一項まで適用したのは法令適用の誤りである。

右の被害者B、Eは、被告人と一緒にモーテルに入つてもすぐには性交するという意思を持つていなかつたのであり、被告人の行為があつて初めて、やむなく性交に応じたのであるから、被告人の行為に児童福祉法第三四条第一項第六号を適用したのは誤りである。同じく 第一第二第三第四の場合もほぼ同様である。

第三点、原判決は刑の量定が著しく不当であつて、原判決が破棄されないと著しく正義に反するものである。

前記の主張において、仮りに全て原判決が正しいとしても、児童福祉法は行政法規であり、被告人に於て当然知つているべきを期待できないものである。被告人は、同法違反も初めてでありいや全ての犯罪の経験すら持つていなかつたのである。そして、業務上知るべき地位にもなかつた。

しかも被告人は、全く前科もなく、本件については、いずれにしても深く反省し、被告人の親族の努力で、各被害者に対しては深く陳謝して、慰籍料なども支払つている。従前の例からすると執行を猶予されるのが通例であり、売春防止法の適用例でも同様である。

児童福祉法第六〇条の規定に十年以下の懲役とあり、相当の重罰を規定するが、同様の規定は刑法第二三五条にもある。このように法定刑の範囲が広いのは常習的に累犯的場合を予想してのことと思われる。又児童福祉法の規定は、第三四条第一項第六号が「児童に淫行をさせる」と表現するように、本来児童を保護すべき親とかそれに代る監督者が行つた場合そして特に監督的地位にある者がその監督義務に違反してその児童自身の意志を無意して、命令的にやらせた場合を予想しているのである。従つて、本件被告人の場合には、そうした児童の意思を無視した点も監督的地位にもなく、どちらかと言えば世間一般の男女関係にある。だました行為が被告人にあつた点、しかもその相手が児童であつた点に反社会性があつたと言うことになろう。従つて、本件被告人の場合には、法の予想したうちでは一番軽いものであると思料し、原判決の懲役二年の実刑は、いずれの見地からしても著しく不当なものであります。被告人は反省しており、前科も無い者でありますから執行猶予の恩典が与えられて然るべきではないかと確信します。

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